くるりの曲名
「ワルツを踊れ – Tanz Walzer – 」から
このフレーズは生まれました
喪失とワルツを踊ったら
三拍子のリズムが心地よくて
永遠に踊り続けてしまえそうだ
だから たとえばタンゴがいい
曲が終わったらそれきり
さよならだ
新しいこれからの人生を送っていけばいい
どうして喪失と向き合うのか。
どうして過去をまた開くのか。
それは紛れもなく
これからも生きていくためだ
あの時失ったもの
手に入らなかったもの
手を伸ばさずに諦めたこと
「子供だった」「若気の至り」なんて言葉で
誤魔化して箱に閉じ込めてしまわないで
ちらちらと視界の隅に映り込むものを
「あの人にも事情があったのだから」と
誰かの都合で塗り込めて、追いやってしまわないで
あの時失ったものを
わたしはどれだけ愛していたのかを
どれだけ欲していたのかを
どんなに痛くても もう一度
手に取って
目をひらいて見つめ返してやる
愛してたよ
欲しかったよ
見ていたかったよ
空っぽの腕を
差し出してデタラメに踊る
そうして いくつかの痛みは
空に向かって飛んでゆける
いっぽうで いくつかの痛みは
もう わたしの一部だ
バイバイ
おはよう
これからも生きていくんだ。
わたしの生きづらさって結局なんだったんだろう。
普通に生きているだけなのに
どうしてこんなにしんどいんだろう。
20年近くもかけて探求して、いったん結論としてたどり着いたのは
「発達性トラウマ」「複雑性PTSD」
という名のストレス障害でした。
原因に行きあたると、いっとき安心できる。
もうそれ以上探す必要がないから。
けれどその次には、「本来過ごせるかもしれなかった幸せな子供時代」を思って、心が千切れそうになる時期がやってくる。
喪失とは、持っていた何かを失うだけでなく
「本当はほしかったのに、得ることができなかった」
そんなニュアンスも含んで、この文章を書いている
嘆きたいだけ嘆いたら
ふと軽くなって、またはじめる
そう、これからも生きていくんだ
このわたしで生きていくんだ
そうしておぼつかない足取りで、
何年もかけて進んできた
わたしの喪失と再生の記録を
どこか似た景色を見てきた、誰かに伝えたくて、書いている。
「戦友」とも呼べるような、あなたに宛てて手紙を書くように。


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